各種研究グループ

予防医療として 東京マルシェヨガ目黒不動が考える「エイジングヨガ」

●ヨガとは ヨガは健康で豊かな生活を送るのに効果的と言われています。 まだまだ自分は、健康だという人にとっても、ヨガは「予防医学」として始める意味のある健康法です。 ・ストレスの緩和  ・骨の強化  ・怪我防止 ・達成感 ・免疫機能の向上 ・精神の安定 健康とは、気分が安定し体が活性化され、精神的にも強く満たされた状態といえるのではないでしょうか。 ●ヨガの効果 ・リラックス ・筋力UP ・姿勢...

日本初!別府明礬温泉の「湯の花」が国際基準のISO9001、ISO14001を認証取得

2011年8月9日に別府明礬温泉の「湯の花」が国際基準であるISO9001:2008、ISO14001:2004の認証を日本で初めて取得した。認証を受けた範囲は「湯の花」の製造、輸出、販売サービスに関するプロセスであり、脇屋湯の花製造有限会社(大分県別府市大字鶴見1338番地の1の1)が認証を受けた。   ISO9001:2008の認証登録証明書(和文・英文)    ...

東日本大震災被災地へ湯の花を!
~入浴剤3200袋 別府の温泉で癒しを~

  別府市は14日、東日本大震災で被災した宮城県柴田町に向け、温泉入浴剤を発送した。同町にある陸上自衛隊船岡駐屯地が被災者のために準備する風呂で利用される。   同駐屯地からの要請を受け、市が市内の施設に協力を依頼。「別府・明礬温泉湯の里」から「薬用湯の花」(1200袋)、「海地獄」から「薬用浴剤マグマオンセン」(2000袋)が無償提供された。自衛隊の浴槽(容量5000リットル)で計約120回分に...

湯の花作業の道具類(採取)

●コテ [湯の花をかきとる際に使う道具。] ●ジャレン [かきとった湯の花を、集めて袋に入れる時に使う道具。素材は、取っ手が木で、先端は鉄。] ●かます [採取したばかりの湯の花を入れる、わらで編んだ袋。採れたての湯の花は温かく、水分を含んでいるため、採取してすぐに袋に入れると、熱で蒸気が発生し、湿ってしまう。そのため、通気性のよい藁で編んだ袋が使われる。1袋で30~40kg入る。]...

湯の花作業の道具類(粘土入れ)

●イス [粘土を広げる際、中腰の作業が続くので、これに座って作業する。] ●二又 [粘土を掘り起こす"中おこし"作業の際に使う道具。素材は、取っ手が木で先端は鉄。] ●コテ [粘土広げの際、粘土の塊などがあった時に、砕いたりするための道具。] ●スコップ [粘土を入れたり、出したりする際に使う。] ●しめ棒 [粘土を広げた際、デコボコした部分を叩いて、平らにならす。] ...

湯の花作業の材料

●藁(わら) [湯の花小屋を建てる際、屋根の部分に使用する藁。毎年1回、別府市の内成・東山、大分市の西大分の米農家より仕入れる。] ●青粘土 [湯の花つくりには欠かせない素材。湯の花小屋が建つと、その中にこの青粘土を敷き詰める。1回入れた粘土は、約半年間(3回周期)利用できる。] ●茅(かや) [わら同様、湯の花小屋を建てる際、屋根の部分に使用する茅。毎年1回、湯布院より仕入れる。...

湯の花作業の道具類(小屋葺き)

●かま [竹を組んだり、藁(わら)を葺く際、ヒモを切ったりする時に使う。] ●のこぎり [竹を切る際に使う。] ●ヒモとヒモ箱 [竹を組む際や藁(わら)を葺くときに使う。ひもが絡まないように、ヒモ箱に入れている。] ●剪定バサミ [藁(わら)、芽を切ったり、飛び出した部分を整える際に使う。] ●竹針 [藁の間に、ヒモを通す際に使う。二人ひと組になり、小屋の外と中で針で布を...

脇屋長可(Nagayoshi Wakiya)の湯の花
~新湯(さらゆ)はからだによくないと言った先人の戒め、忘るべからず~

別府の湯の花。これぞ江戸時代から続く入浴剤の元祖。 温泉効果と清浄効果で一日の疲れがさっぱりと消える。 温泉へ行くひまはなかなかできないが、これさえあれば毎日が「イイ湯ダナ......」の温泉気分である。 ●別府の湯の花は自然と人間の知恵の結晶   入浴剤がちょっとしたブームになっている。これを入れるだけでたちまち温泉気分。旅なれた人は海外旅行に必ず持って行く。味気ない西洋式バスタブが温泉気...

別府明礬温泉の湯の花製造技術

所在地 大分県別府市 保護団体 明礬温泉湯の花製造技術保存会  別府明礬温泉の湯の花製造技術は、大分県別府市の明礬温泉で江戸時代より行われている湯の花製造の技術である。この技術は、湯の花小屋という製造施設をつくり、その内部で噴気と青粘土を利用して湯の花の結晶を作り出す技術であり、製品である湯の花は薬として利用されたり、入浴剤として利用されてきた。  明礬温泉は、別府市の西部に位置し、別府市野田お...

明礬製造の歴史

入江秀利さん(別府市文化財調査員)のお話 ●はじめて明礬をつくった人   別府ではじめて明礬をつくった人は、肥後の国の八代の渡辺五郎右衛門で、浜脇の孫四郎の家に泊まっているうちに、野田村と鶴見村で明礬を作り始めるのです。それが江戸時代前半の寛文四年のことでした。   明礬は、媒染剤といって染物の色を鮮やかに染め出したり、収斂剤として止血や下痢止めの薬になったり、なめし革をつくるときなどに重宝されま...