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明礬の歴史

 寛文4年(1664年)、肥後国八代(熊本県八代市)出身の浪人渡辺五郎右衛門が、速見郡鶴見(別府市鶴見)に来て明礬製造を思い立った。彼は立石村(別府市南立石)と鶴見村の小倉(同市小倉)で明礬お製造を試みたが、失敗に終わった。その後、五郎右衛門は長崎の薬種問屋に奉公した。ここで中国人より、明礬の製造の秘伝を聞くことができた。早速、彼は鶴見村に来て再度、明礬製造を照湯で試みたところ、見事成功することが...