別府の湯の花。これぞ江戸時代から続く入浴剤の元祖。
温泉効果と清浄効果で一日の疲れがさっぱりと消える。
温泉へ行くひまはなかなかできないが、これさえあれば毎日が「イイ湯ダナ……」の温泉気分である。
●別府の湯の花は自然と人間の知恵の結晶
入浴剤がちょっとしたブームになっている。これを入れるだけでたちまち温泉気分。旅なれた人は海外旅行に必ず持って行く。味気ない西洋式バスタブが温泉気分に変わるだけではなく、確かによく温まって足のむくみや全身の疲れがとれ、安眠できるからだ。
[別府の明礬温泉に奇観を呈する湯の花小屋。焦れ自誌「背じゃうぶに類のない「天然の化学工場」だ。]
現在、浴用剤工業会加盟業者だけで104社・約700種類もの入浴剤がしのぎを削っているが、なんといっても「別府の湯の花」が元祖的存在として江戸時代からの歴史を誇る。
その一番の効用は、無機塩類が皮膚の蛋白質と結合して膜を作り身体の熱の放散を防ぐため、入浴後の保温効果が高く、湯冷めしないことにある。また、皮膚・汗腺などの脂肪や汚れを乳化する洗浄効果も見逃せない。
「うちの湯の花は髪にもいい。職人頭が前は月に一回床屋へ行けば済んだのが、ここへ来てからは三回も行くと言うておる。湯の花が毛穴の余計な脂肪を吸い取るから髪の毛がよく伸びるんだな」と、脇屋長可は自信満々で言った。
[よそのは単なる硫黄だが、うちの湯の花は鉄明礬石で効き目が違うと胸を張る当主・脇屋長可。0977・66・0301]
江戸中期の享保10年(1725)から270年連綿と続いている湯の花製造元・脇屋家の現当主で、その顔は「毎日湯の花で洗っているから、そのあと何もつけないのに、こんなにツヤツヤ」である。
世界中でも別府だけの特産であるこの湯の花は、別府市街を見おろす鶴見岳山麓の明礬温泉に産する。ここは相当な地熱帯で、地下30センチあたりにもう温泉脈があり、地表の割れ目から盛んに温泉ガスが噴き出している。
[すぐ裏手の山腹から湯の花作りの決め手となる青粘土を掘り出す。]
山腹にずらりと50棟並んだ古代人住居のような藁葺き小屋が壮観だ。これが「湯の花小屋」と呼ばれる精巧な天然の化学工場である。中の熱気はまさにサウナで1、2分もいれば全身汗まみれになる。ここで湯の花は夏は25日、冬は40日から50日がかりでゆっくりと厚さが数センチの結晶に育つ。
小屋作りは噴気の多い敷地を選び、粘土を敷きつめて完成するまで六人の専門職人の手で2ヵ月かかる。それだけ苦労して作っても噴気の作用で小屋の寿命は長くて3年。そのたびに作り替える。
小屋の底は栗石・藁・白粘土・青粘土の四層構造になっている。栗石の組みかた次第で噴出する温泉ガスが小屋全体に行き渡り、湯の花がうまくできるかどうかが決まる。
学名をモンモリロナイトという青粘土は、顕微鏡で見ると六角形の孔があいている。目に見えないその孔を通って噴気が上がっていく。青粘土をいかに高低なく均一の厚さに敷くか。これが小屋作りの重要なポイントだ。
[明礬温泉にしかない青粘土は学名モンモリロナイト。鉄・アルミニウムの他に大量の天然ミネラルを含む。]
全神経を手に集中して全面を平らに仕上げる。作業の間じゅう足の裏は温泉ガスの熱に焼かれている。「そのせいか小便がコーヒー色になる」と、職人は呟いた。
●湯の花小屋の結晶生成メカニズム
地球物理学の世界的権威・京都大学名誉教授吉川恭三の解説によると、湯の花生成のプロセスは次のようになっている。
猛烈な勢いで噴出する温泉ガスは栗石で亀甲状に作った通路で小屋全面にひろがり、藁を白粘土の層を上昇する途中に冷えて液化し水となる。同時に、共存していた硫化水素や亜硫酸ガスは酸化して硫酸となる。
[成分を失って白くなった青粘土を掘り返し、その上に新しい青粘土を入れ、入念に全面を均等に平らにする。]
[十日目に成長途上の湯の花を叩いて平らにし成長を均一化させる。]
この強い硫酸が青粘土の層を毛細管現象で上昇しながら、粘土に含まれるアルミニウムや鉄と化合して硫酸塩を作り、その結晶がやがて表面に析出して湯の花になるという仕組みだ。
[小屋に敷き詰めてある栗石。]
竹で支柱を組み、茅を敷いた上に藁を何層にも重ねて葺いた屋根は、雨を防ぎながら湿気を排出し、熱は逃さない。このため小屋の内部はつねにほぼ一定の温度・湿度に保たれる。高性能エアコンディショナーとして働く藁葺き屋根のおかげで、湯の花は安定した成長を続けることになる。
[竹を組んで支柱にし、藁で屋根を葺く。]
全国各地の温泉に湯の花はあるが、たいていは硫黄の沈殿物(いわゆる湯アカ)を採取したもの。これに対し別府の湯の花は、温泉ガスの中からイオン化したミネラルを化学反応で抽出する方法が世界唯一のもので、結晶の主体はハロトリカイト(鉄明礬石)とアルノーゲン(明礬石)である。
[約五十日後に花採りごてで湯の花を収穫する。小屋の中はまるでサウナのような熱気だ。]
特に注目に値するのは、この湯の花には人体に微妙に作用する神秘的な微量成分が四パーセント以上も含まれていることだ。
[粘土の質や噴気の状態で小屋それぞれの場所ごとに採れる湯の花の色や姿が違う。]
「亡父が初めて別府で買ってきて以来八十年も使い続けてきた。これが本物の湯の花です」と、長野県飯田市で大衆浴場を営む鋤柄邦輔は断言する。「人工的に作られた入浴剤と違って、神様の贈物だからな」と、当主は胸を張った。